田村 望さん
右も左もわからないまま、高校に入学し、とても緊張しながらも生活していたが、部活に入部したら、先輩などにいろいろととても優しく教えてくれた。
学校生活にも慣れ、先輩たちが夏で部活を引退し、自分らの代となると同時に自分の進路についても考え始め、いろいろと考えさせられる時期だった。
ついに最高学年となり、受験生という自覚を持ちながらも、自分の進みたい進路のために努力しつつ最後の大会に注力した。
大会が終わり、受験勉強に邁進するも、自分の成績が思うように振るわない時もあり、焦りを感じた。
公募推薦で本命大学に合格し、一般でチャレンジ校を受験するという理想的な受験方法がとれた。残念ながらチャレンジ校には落ちてしまったが、後悔のない受験ができたと思う。
元々は祖父の言葉で、小学校時代から言われ続けてきた言葉。勉強時間等妥協したときにそれが目に見えて成績に出てくることがあったため、常に胸に刻み受験勉強を続けてきた。