廣瀬 見凪さん
この大学に行きたいなぁという理想像だけ持って、ひたすら部活に邁進していました。未だ抜けきれてないコロナ禍に翻弄されながら生活していました。部活や塾で疲れて家に帰って寝落ちしたり、日付超えてから勉強したりと、生活リズムはぐちゃぐちゃだったように思います。
第1ー第3希望くらいの大学は決めて、模試の成績を見つつ過ごしていました。コロナの制約がほぼなくなって、元の生活に戻ってきたように思います。
主に部活に力を注いでいました。受験が近づいてきてる意識はあったので、少しずつ自己分析だったり、ここの大学で何したいかなというようなことを考え始めるようになったと思います。思うように勉強に時間を割けていなかったので、受験生になるのが不安でした。
部活の引退が6月中旬だったので、それまではひたすら部活に没頭していました。少しずつ受験モードになっていて、担任との三者面談があったり、志望校に関するアンケートとかを書いたり、ことあるごとに「君たちは受験生ですよ。」的なことを言われていました。
最初の受験が9月ごろスタートだったので、部活引退してすぐに受験勉強に切り替えました。最初は総合型選抜だったので、エントリーシート(志望理由書的な)を先生と相談しながら夏休み期間作成して、補習と同時進行で進めていました。台風が来てどうなるかと思ったけど、無事に書類を作り上げることができました。
最初の受験校の書類審査を通過してから2次試験までの間が短かったので、毎日のように面接を見てもらって、アドバイスをもらったり、作文の指導を受けたり、実技の指導を受けたりしました。総合型選抜は結局不合格に終わり、そのあとしばらく抜け殻のようだったと思います。どうにか切り替えて第一志望校をAPUに変更し、滑り止めの大学も2つ決めてからはひたすら英語と国語の勉強や、共テ対策をしていました。結果、APUは後期の共通テスト+面接方式で他の滑り止め2校(桜美林大学、別府大学)も共テ利用で合格できました。
私は私立文系コースに所属していたので、周りの子達が指定校や総合型でどんどん受かっていって取り残されてる時や、学科試験で四連敗した時に友達にかけてもらった言葉です。結果的に最後の最後で受かってよかったです。